CMディレクター仲野哲郎の「シズル」って何?84

   

今日は、料理研究家の土井善晴さんと政治学社の中島岳志さんの「料理と利他」からのメモです。

土井善晴さんの著書『一汁一菜でよいという提案』を読んでから、

土井善晴さんが気になって数冊本を買いましたが、この本もとても面白い本でした。

   

”私、日本がいちばんだなんて言うつもりはなにもないけれども、西洋や中国をはじめとして世界中が、

磁器という近代の便利な清潔感のある道具を使っているなかで、日本では、士の陶器や漆器、ガラス器も一緒に使っているわけでしょ。

道具の多様性は自然です。このへんが日本人らしさ、自然との距離感、そういうものを物語っていると思うですよね。”

   

”毎日の生活はケハレなんですね。誤解のないようにここでケハレの意味を少し説明しておきます。

日本人の世界観であるケハレとは、ハレの日(まつりごと)。ケの日(弔いこと)・ケハレの日(日常)の三つに分けられます。

いい神も悪い神も八百万の神がいてる、という考えです。

ですから、ケハレの日常生活にも、ハレ的な小さな楽しみがあるものです。

そもそもハレの料理(おせち料理や寿司、赤飯など)は、神様のために人間が拵えたものを、神様と一緒に食べる(神人共食)という慣習です。

それは、澄んだお吸い物やお肉のヒレやロースのいいところだけ、魚の白身のおいしいところだけを用いる料理です。

となると、使わない部位は、ハレの日には相応しくないものとして廃棄しないまでも除かれます。

それを「澄(清)ませる」と言うわけです。

これに対して、日常では一物全体と言われるように、捨てるところがなにもない、無駄をせずすべて食べるという考え方です。

現代ではハレをまつりごとではなく、ご馳走を食べる日(贅沢をする日)として、みんな大好きな握り寿司やステーキのようなわかりやすいおいしさのもの、

きれいに整えられたものを食べるようになり、それではカロリー過多になっても仕方ない。

メタボの原因をつくり、また食品ロスの問題にもつながって、地球にとっても不健康です。”

   

”なにか自分に取り柄があるとしたら、あんまり昨日の自分に頼らないで、今日初めて料理するんじゃないかという気分でいつも臨むところですかね。

だから、おいしくできないかもしれないとか、不安はあるんですよ。できないんじゃないかと思うんです。

でも、一生懸命相手に接するというか、素材と対話するみたいなことをするんです。

それは力みではなく、なんかお芋が気持ちよさそうにしているなぁ、というようなものです。

強引に「はやく柔らかくなれ」と思って火を強めても、おいしくなるどころか、崩れてなくなってしまう。

優しく対話し、感覚と経験に照らして判断をくりかえしながら、視覚的、嗅覚的、聴覚的、触覚的に現れる「きれい」に導かれて調理する。

優しく優しく豊かにしてやることで、非常にご機嫌な顔を見せてくれるわけですよね。

そのあたりは、自分の経験のなかで、あ、こっちのほうがいい、こっちのほうがいいと、いつも判断していて、微妙にいつも違っている。

そうすると、おいしくできないこともあるかもしれないけども、「あ、きれいになった、きれいになった」みたいな気持ちでやると、結果としておいしさはついてきます。”

   

”混ぜたらたいていのもんは汚くなるんですよ。

赤、青、緑、三色以上混ぜたらグレーになって、たいていは汚くなる。

だけど、混ぜないで、たとえばポテトサラダなんかでも、「あ、今美しい」というのがね、いちばんおいしい瞬間。

これを混ぜすぎると粘ってしまうし、雑味になったり、早くから混ぜていると浸透圧がはたらいて自由水と言われる水が出てくる。

時間とともに雑菌が増えて味を落とし、腐りやすい、あるいは体に悪いものになる。

酸化や腐るという方向になってくるわけです。

出来立てがいちばん純粋で清いんです。和食は「この瞬間」のおいしさを、食べています。

そういう意味では、和食はいつも変化する道中の一瞬を食べています。

だから昨日と同じおいしさを今日出そうと思っても不可能なんです。”

  

ちょっと長くなってきたので次回に続きます。

料理と利他 土井善晴・中島岳志 著 | 2021 | 未分類 | Comments (0)