CMディレクター 仲野哲郎の「シズル」って何?124
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今日は、分子ガストロノミーの研究家エルヴェ・ティスと三星シェフピエール・ガニェネールの共著
「料理革命」からのメモです。
研究家とシェフの本でありながら、ミステリー小説のような内容もあり
レシピが収録されていたり、
飽きずに読ませたい思いが伝わってくる、文章、構成、とても面白い本でした。
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では、前回の続きから。
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“ボルドーで働いている友人の一人が言っていたことだが、彼は、ボルドーの 白ワインを赤く染めて、
ある実験をしたんだそうだ。
試飲者は、若手のワイン醸造学のプロで、その道に明るい人ばかりだったけれど、白ワインについては
白ワ インを表現する言葉で言い当てたのに対し、赤く色をつけた白ワインに関しては、
赤ワインを表現する言葉しか出てこなかったそうだ。
つまり、キャラメルとか、 胡椒、赤いフルーツ、黒いフルーツだとかね。白ワインには、リラとか、バナナ、
葉巻という表現をしたのに。
しかし、これらの試飲者には、その前にプラインドテイスティングの実験を行なっていたんだよ。
その時には、彼らが知覚した味わいに響を及ぼすことはなかった。
赤い色はまったく影響を及ぼすことはなかった。
もっといい例は、僕の友人と彼の同僚による研究で、ワインのテイスティングのコメントについての
分析なんだが、たくさんのコメントを集めた結果、赤ワインについてのコメントは黒っぽいものを示す言葉で、
白ワインについては明るいものを示す言葉で表現されていたんだよ。
ワイン醸造学の世界はいまだ危うい立場にあるということだ!(中略)
味わうとき、視覚は重要な要素だとわかるけど、見た目の美しさが、食べる美しさ、
つまり美味しさを構築するわけではないといった事実を変えはしない。
美味しいって、いったい何だ?
ジャンキュルノンスキーは、何十年か前に、
《そのものが持つべき味わいをそなえている料理こそ、美味しいといえる》と言っていたよ。”
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味は視覚に左右されやすい。
「そのものが持つべき味わいをそなえている料理こそ、美味しいといえる。」
その素材が持つ美味しさをアップデートしている料理ってことでしょうか?
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“美味しいものとまずいものの間の関係について考えてみよう。
マンステールチーズは美味しいのか? 見た目といい、匂いといい、それは時に強烈であり、
〈醜い〉とさえ判断できる。
しかしながら、その風味はより甘美であり、〈美しい〉と判断される。
すべての人にとってそうなのか? それとも、アルザスの人々にとってだけなのだろうか?》。
(この考えから見れば、どうして我々は、自分自身の文化にないものを好きになれるのだろうか?
なぜアジアの人々はフランス料理に耐えうるのだろう? どうしてあなた方はアジア料理に
耐えられるのだろうか?》。”
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外国人が納豆を美味しく感じるか?クサヤを美味しく感じるか?難しい問題ですね。
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“火を通したイチゴに代表されるような、味覚に嫌悪を起こさせる食べ物は他にありますか?
その欠点をよくよく見直して、どうしたらそれを有効利用できるかを考えてみましょう。
美味しくないものについて考察することは、ときに、美味しいものについて考えることよりもずっと
役に立つのです! 哲学者ジャン・ラルジョは、つまらない本についてこう言っていました。
《これらは大変興味深い。反対に、我々が大切にしていることを、より鮮明に浮かび上がらせてくれる
からだ》。”
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良くない、美味しくない。その理由を考えることは、良い、美味しいを考えることとほぼ同じですよね。
興味深い思考法ですねよ。
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“生まれたばかりの乳幼児、あるいは、若年期の霊長類に甘い溶液を味わわせると、両者とも喜びの表現を
しますが、それに対して、例えば、苦味のあるものをすすめると、しかめ面をして嫌悪感を示します。
これは、甘味、苦味あるいは酸味を見分ける味覚を、生まれながらに持っているということを証明すでしょう。
我々は、喜びや不快感を感覚に結びつけているのです。
この観点からみると、我々人間は動物に近い。馬、あるいは牛は、塩のついた石をなめますが、
我々も、平坦な味わいになることをさけるために、料理に塩をします。
甘味に対して人類は、同種のサルと同じ反応を示すという研究結果を私の同僚
の霊長類学者と私はすでに発表しています。概して甘いフルーツは、霊長類という
生物が必要とするエネルギーをもたらしてくれる。反対に、苦味を口にすると、
植物に含まれる毒性アルカロイドと感知して、若年の動物はその味に拒絶反応を示すのです。
なぜ我々は、風味のない脂とかでんぷん質の野菜も好むのでしょう?
およそ、我々は、それらの風味を検出する受容体を持ちあわせてはいませんが、テクスチュアを識別
することは間違いなく学びとる。一種の条件付けです。そして、脂質、あるいはでんぷん質のものを
食べたあと、いったん我々が満足したら、我々は、食物の中に脂質やでんぷん質を探しあてると
無意識的に満腹感を得るようになるのです。
料理において、この反射的な《生得的な感覚》を無視することはできません。”
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結局、動物的な欲求は人間にも勿論残っているんですよね。
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“どうして私たちは、食事は前菜とメイン、チーズとデザートから構成されなくてはならないという考えに
がんじがらめなのでしょう?
どうして、メイン料理は、相も変わらず、肉か魚と、そのガルニチュール(添え物)から構成されて
いるのでしょう?
どうして、甘いものは、塩味の皿の後に食べなくてはならないのでしょう?
こう考えると、たくさんの疑問が一度に湧き出します、思い切って再検討しなければならないでしょう。”
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どうして、と問われると答えられないことが多いですが、私の経験的には、その問題を突き詰めると
今のシステムに落ち着くことが多いです。先人達の考えた結果が「今」なんですから。
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“料理において、ブイヨンは当然ながら本質 的な存在だ。
ブイヨンからは、コンソメもスープも、ソースも作ることができ、 それを、薄め液のように使うのだから……。
我々はこのブイヨンを何千年の間 実践してきた。
それにもかかわらず、ブイヨンは1時間、2時間、それとも 100 時間火を通して作るものであるのかどうか
という正確なところは知られて いないのである。
さらに、よく本に記されているように、陶の鍋で仕上げたと きに良い仕上がりになるのか、
また、鍋には蓋をするべきなのかどうかも不明 確なままだ……。”
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すごい問いですよね。
正解なんてないのかもしれません。でも、正解に近いものは作り出せると信じてますよ。私は。。。
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“「それじゃあ、料理の真理は愛なの? ブイヨンに込められた愛?」
「あとは、芸術家自身のスタイルに尽きるわ。それは、芸術家自身を表現するに違いないから。」
「スタイルは大切だ。一つの意思表示だからな…… 。
でも「本質は目に見えないところにあるんだ」とサン=テクジュベリが言っていたように、
その本質には、相手のために料理する人の愛、食卓をともにする人の愛に違いないんだ。」”
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この本の結びの文章です。
いい結びですよね。
モノを作る全ての人に響く言葉でした。