CMディレクター仲野哲郎の「シズル」って何?63
今日は、ずっと読みたかったけど、なぜか手がのびなかった「美味礼賛」
ブリア=サヴァラン著を読んでのメモです。
この「美味礼賛」。1825年にフランスで発刊されているので約200年前に書かれたものになります。
(ナポレオンが死んだのが1821年なので、その頃の本です。古っ)
翻訳・解説は玉村豊男さん。解説のおかげで時代背景、食材の説明など。。。
スムーズに楽しく読むことができました。
この「美味礼賛」なかなかヤバイ本なんですけど、本の中から食に対する愛情がビシビシと伝わる、面白い本です。
”造物主は私たちに、生きるために食うことを課し、
そのために食欲をもって誘い、美味をもって支え、快楽をもって報いる”
なかなかいい感じですよね。
”先天的なグルマンは、概して中肉中背である。
顔のかたちは丸か四角で、目が輝き、額は狭く、鼻は低く、唇はぽってりとして、顎に丸みがある。
女性の場合は、ぼっちゃりとして、美人というよりは可愛らしく、いくらか太り気味の傾向がある。
女性でも、グルマンドと言うよりフリアンド(甘いものが大好きで、おいしいものを少しだけ食べる)のタイプは、
全体にもう少し細めのつくりで、立ち居振る舞いも繊細な、機知に富んだ会話で周囲を魅了するような人が多い。
もっとも好ましい会食者は、このような外見から選ぶのがよい。”
“反対に、天から味覚を愉しもうとする性向を与えられていない人たちは、
顔も、鼻も、目も、一様に細長く、実際の背丈はどうであれ、どこか間延びした印象がある。
彼らの髪の毛は黒くてペタッとしており、とりわけ、恰幅のよさが足りない。
長ズボンなるものを発明したのはこういう人たちなのである。”
いきなり、独断と偏見の塊。。。美食家の特徴を言い放っている。笑
”食卓の快楽とはこのようなものであるから、それにかならず先立つ食の快楽とは、はっきりと区別しなければならない。
食の快楽とは―つの欲望が満たされたという、現実的かつ直接的な感覚である。
食卓の快楽のほうは、食事に伴うさまざまな要素、場所だとか、物だとか、人だとかいったものから生じる、省察的な感覚である。
食の快楽は人間にも動物にも共通のもので、空腹とそれを満たすものさえあれば事足りる。
しかし、食卓の快楽は人間にだけあるもので、料理の準備だとか、
場所の選択だとか、会食者の招待だとか、食事の前のさまざまな気配りが大事なのである。
食の快楽を得るには、飢えとまではいわなくても、少なくとも食欲が必要である。
しかし食卓の快楽は、多くの場合このどちらにも依存しない。
この二つの快楽は、私たちが宴席に集うとき、つねに観察できるものである。”
食卓の快楽を最高度に現実する方法。
”⑴会食者の数は12人を超えないこと。そうでないと、常に全員が会話を共有することができない。
(2)会食者の選択は注意深くおこなう。職業はまちまちでも、好みはたがいに似ているほうがよい。
紹介などという無風流なことをしなくても済むように、たがいにそれぞれのことを知っている間柄が望ましい。
(3)食堂の照明は十分に明るく、銀器やリネンは完璧に清潔でなければならない。室内の温度は摂氏16度から20度をもってよしとする。
(4)男子は機知に富むが気障ではなく、女子は可愛らしいが色っぽ過ぎないほうがよい。
(5)料理は滋味ゆたかなものを選び、皿数はあまり多くないほうがよい。ワインはそれぞれの程度に応じて第一級のものを選ぶべし。
(6)順序については、料理はしっかりした重いものから軽いものへ、ワインはあっさりとして飲みやすいものから香りの高いものへ。
(7)晩餐は一日の最後の仕事だから、食事はゆっくりと進めること。会食者は、全員が同じ目的地へ向かう旅びとのようであらねばならない。
(8)コーヒーは熱くなくてはならない。リキュールの選択は主人の大事な仕事である。
(9)会食者を受け入れるサロンは十分に広く、ゲームの好きな人がそこで遊ぶ場所がなければいけない。また、そこでゆっくり食後の歓談ができるほどの広さが必要である。
(10)会食者が社交の楽しさに惹かれ、食後にはもっと楽しいことがあるかもしれないと期待するようでなければならない。
(11)紅茶は濃く滝れ過ぎないように。トーストのバターは芸術的に塗りまくること。
(12)午後11時より前に退席するのは早過ぎるが、なければならない。
12時にはみんなベッドの中にいるようにしもし誰かが上記のような条件がすべて揃った
会食に参加したとすれば、それこそ自分自身の戴冠式に出席したような得意な気分になるであろう
。逆に、それらの条件の大半が忘れられたり無視されたりしていれば、それだけ大きな失望が待っていよう。”
この気持ちはよくわかります。
”渇きの欲求はかくのごとく烈しいものなので、
どの国の言葉でも並外れた欲望や際限のない執着をあらわす同義語となっており、黄金の渇き、富の渇き、権力の渇き、復讐の渇きなどという表現が見られるのである。
実際に経験した人ならまさしくその通りだと感じるので、今日までそんな表現がまかり通っている。
空腹は、飢餓の状態に達するまでは、ある程度ならそれなりの快感がともなうものである。
が、渇きにはだんだん暗くなる夕暮れのような途中の段階がなく、それを感じた途端に不快を感じ、
不安になり、焦燥に駆られて、そのときに喉の渇きを解消する手段がないことを知ったら、不安は恐怖に転じて矢も楯もたまらなくなる。
そのかわり、どんな場合であれ、飲んで渇きを癒すときの歓びというものは、なにものにも喩えられないほど大きいものである。
ひどく喉が渇いているときにがぶがぶ飲む水も、ちょっと喉が渇いたときに飲むおいしい飲みものも、
舌の先から胃の底まで、水分を吸収する乳頭突起をもつすべての器官は身もだえしながら受け止める。
人は空腹では簡単に死なないが、渇きでは早く死ぬ。”
”新大陸からの贈り物といえば、まずジャガイモを挙げなければならない。
ジャガイモのおかげで、たび重なる飢饉や戦争によって慢性的な食糧不足に陥っていた
ヨーロッパは崩壊の危機を救われたのである。”
”ショコラは、丁寧に仕立てれば、おいしいだけでなく健康によい飲みものであること。
栄養があり、消化にもよいこと。美容にもよく、コーヒーのような害をもたらさないばかりか、薬にもなること。
とくに精神の緊張を必要とする仕事を担う教授や弁護士、あるいは消耗の多い旅行者にとってもきわめて有益な、
そして、虚弱な胃にも適しており、慢性病の患者にも効果を発揮し、
胃腸疾患に悩む者にも摂取できる最後の食餌として、きわめて有益な飲みものなのである。
これらの効能がどこから来るかというと、それはショコラが言わば単なる「オレオサッカルム」(油と砂糖の混合物)
であるということが理由で、同等の分量でこれ以上の栄養分を含む食品はほとんどないからである。
したがって、ショコラはそのほとんどの部分がたやすく動物化するのである。”
”1800年までに世界の市場を通じて消費者の手に渡った砂糖の総重量は約25トンと推定されているが、
1830年には単年の生産量だけで約60万トン、1860年には(サトウキビの砂糖と甜菜糖の合計で)140トン近くまではね上がり、
1890年には600万トンを超えた。
20世紀に入ってからの世界の砂糖生産量(サトウキビ7割+甜菜糖3割)は、
1980年頃に1億トン、2000年代は1.5億トン前後で推移しているとされるが、
これほどまでに急激に世界中に普及した食品は他に例を見ないといわれている。”
”マルグラフの発見から約80年が経ったいまでも残っている言葉といえば、「砂糖はただ財布を損なうのみ」という、かの有名な蔵言だけである。”
”新世界のショコラやコーヒーが旧大陸に広がっていく過程、
また、砂糖や胡椒を求めて危険を顧みない大航海や宗教の命運を賭けた闘いが繰り広げられた歴史を思うと、
生きるために必要な食糧は身近なところで供給するが、とくに必要のない贅沢品や嗜好品こそ、
人びとの欲望を烈しく駆り立てるものだということがよくわかる。”
独断と偏見。自由な発言が多い著者でしたが、
食への関心の高さ、視点の面白さ、200年前とは思えない発想の豊かさにビシビシ来ました。
ちなみに、フランス菓子のサヴァランは著者のサヴァランから取ったようです。よ。