CMディレクター仲野哲郎の「シズル」って何?83

   

今日は、美味しいエッセイの名手 平松洋子さんの「おとなの味」からのメモです。

平松さんの書籍は沢山あるので、少しづつメモしていこうと思っています。

   

”淡麗な味。こだわりの味。キレのいい味。芳醇な味。はんなりした味。仕事のしてある味。

まったりした味。マリアージュの味……ほっぺたが落ちそうな味は数知れずあるけれど、

「ようし今日は奢っちゃうぞ」。

清水の舞台から飛び降りたときのおいしにおかさには、とうてい勝てない。

だから屋台のソースの匂いを嗅ぐと、百円を据りしめたよみがえあのお祭りの日の興奮が

蘇ってしきりに胸さわぎがし、いてもたってもいられなくなる。”

   

そうなんです。この「奢っちゃう」感じが美味しさを倍増させてしまうんですよね。

奢る・・・身分以上にぜいたくな生活をする。

   

”知恵はつかいよう。タイミングも合わせよう。肉屋にコロッケを買いにいく。

ケースのなかにコロッケが並んでいるけれど、ふと奥を見るとおばさんがせっせと新しいのを揚げている。

コロッケ五つくださいと声をかけながら、すかさず言い添える。

「揚げたて、いただいていい?」

近所のパン屋のバゲット一本でも、日に何度か焼き上がる時間をいちおう覚えておくと、

タイミングさえ合わせれば首尾よく香ばしいパリパリにありつくことができる。

または、八百屋で買いものをしながら、店のおにいちゃんと立ち話をする。

「こないだのホウレンソウ、うまかったでしょ。直接仕入れてる茨城の農家で育ててるやつなんだ。

ほかより五十円も高いけど、むかしの味なんだよね。なにしろ人気があるからさ、

うちには水曜と土曜しか入らないの。今日は入りたて」

そうか、じゃあ水曜か土曜がほうれんそうの買いどきなんだな。あたまの引き出しにぽんと入れておく。

料理の本に書いていないこと、学校で教えてくれないようなこと。

どうでもいいと思えるようなちいさなことが、意外においしさの近道だったりする。”

   

ちょっとした、違いで美味しさを増すことはできるんですね。

熱いものは熱く。冷たいものは冷たく。タイミングを頭に入れておく。

撮影も同じですね。

   

”食べ物の時の「オツだね。」は、微妙に目線の位置が違ってくる。

(おや、いいもん出してくれるじゃないの、やってくれるねえ)そんな機嫌のよさが漂っている。

うれしいねえ。たのしくなるねえ。ただの豆腐の小鍋だと思っていたら、おやまあ旬の白魚が入っている。

夏まっさかり、晩酌のお膳にめずらしいことに川海老の塩焼きがのっかっている。

そらまめにひと手間かけて、かきに揚げにしてある。認めるやいなや間髪入れず、

「おっ、おつだね」。

逃さずとらえて、受けとめる心意気に胸がすく。”

   

この感じもとても気持ちがいいですね。

「オツだね。」言い換えると、「わかってるね〜」ということなんでしょうか。

   

”「その土地でとれるものには、その土地の水が1番やと思う。宇治茶を関東の水でいれれば、

渋くなる。逆に静岡のお茶を京都の水で滝れると、味が薄い。

だから米の研ぎ方にも地方差があり、やらかい水は混ぜながら洗うだけで十分浸水する。

また、関東のパラッとしたごはんだからこそ、空気をふんわり含ませて握る江戸前の鮨が生まれ、

いっぽう大阪では押してこしらえる棒寿司ができた」

さまざまな食文化には、土地の産物と水との密接な関係が隠されている。”

”「ヨーロッパは硬水だからこそ、硬い肉や野菜をじっくり煮込んでシチュウをつくったり、

スープストックをつくる。長時間煮込むと、硬水のミネラル分が素材から抽出されたイノシン酸や

アミノ酸とより多く結合して、濃いうまみになります。ことこと煮込む科理が多いのは硬水の土地

だからこその知恵なんです。”

   

水が違えば味が違うのは当然ですけど、その基本を忘れてしまうことがほとんどだと思い知りました。

文化文化と言いがちですけど、そもそも素材が違うんですよね。

   

”なかなか頼んだナスが来ない。伝票に手を伸ばしかけたちょうどそのとき。

おかあさんが小走りに駆け寄ってきて、ちいさな声でささやいた。

「ごめんね、焼きなす遅くなっちゃって。おとうさんが、せっかく久しぶりに来てくかもれたんだからって、

加茂なすを焼いてるんですよ。今日、京都から届いたばっかり。

でも、加茂なす、焼くのにずいぶん時間がかかるもんだから」ごめんね、もうちょっとだから。

申しわけなさそうに手を合わせるおかあさんの顔を見たら、勝手に口が動いた。

「あ、ぜえんぜん大丈夫だから。それよりお酒一本、常温で。えっと、なにがいいかな。」”

   

”いっぽう、なによりうれしいのは待ちもうけるときだ。

「だめっ。おとうさんが帰ってきてから」びしゃりと叩かれた手の甲の痛さも、うれし恥ずかし。

すぐ目のまえの到来物のアイスケーキを、ドライアイスが溶けてしまわないか、

気もそぞろで壁の時計を何度も振り返り、振り返りした。かくじつに手中にあるのに、じりじりしながらおとなしく待つ。

なにしろ、待たなければ口には入れさせてもらえないのだ。こどものころは、待ちもうけることの忍耐をたっぷり仕込まれた。

あとになってみれば、なんとも幸せなことだったといわねばなるまい。

焦れながらみごといいつけを守りおおせたそのあと、打ち上げ花火のように大空に花開く解放感こそ、美味しさの増幅装置だったのだから。”

   

空腹は最高のスパイス。に似た感覚だけど、もっと微妙なニュアンス。

これもわかります。

   

美味しいエッセイ。楽しく読ませていただきました。

おとなの味 平松洋子 | 2021 | 未分類 | Comments (0)