CMディレクター 仲野哲郎の「シズル」って何?113

今日は、少し変わった料理本からメモしていこうと思います。

「料理の四面体」 玉村豊男さん 中公文庫 2010年初版

火・水・空気・油の四要素から、色々な料理の原点、こぼれ話を語る面白い本です。

著者の視点の面白さに思わず笑顔になっちゃいます。

それまでただ肉塊を火に焙っただけでなにもつけずに食べていた原始人が、

貴重な塩を手に入れてそれを肉にすりつけて焼いたものを食べたときには、

どれほどその美味に驚愕したであろうか。

塩の他にはまだこれといった調味料は手に入れていなかったわけだが、

とにかく、塩を加えると格段に味がひきたつし、

だいいち塩をつけて肉を食べる方法を採用することで、

彼の焼肉料理のレパートリーは一挙に倍増したのだ。”

人類が塩を手に入れた瞬間を想像するなんて、目の付け所が素晴らしいです。

こう見てくると、直火による料理法(途中に水や油を介在させない)には

必然的に空気が働きかけてきて(だいいち空気がなければ火は燃えない)、

その度合により、まず直火にいちばん近いグリル、

続いて少し火から遠ざかったロースト、そしてさらに火から遠く離れたくんせい・・・

と来て、最後はただの風干し、日干しのひものに、このラインは到達することがわかる。

アジの干物もサンマの干物も丸干しもスルメも、塩をして干すエ程では生ハム

(豚肉の干物)の製法と同じである。

干物はしかし火を加えてつくるものではないではないか、

と一瞬疑問が湧くかもしれないが、アジの開きがいっばいに並べられている

漁村を歩きながら、ふと空を見上げてみよう。

雲に隠れているかもしれないが彼方には太陽があり、そこから熱線がアジたちの上に

降り注いできているはずだ。

干物の場合はくんせいよりももう少し火から離れていて、

火源との距離が1億5000万キロメートルほどあるだけなのである。”

干物も火によって調理されている。すごい俯瞰視点。面白いです。

次のメモはとても面白い視点で、料理はどこから?を文章にしたものです。

”料理というのは、いったいどこらへんからはじまるものなのだろう。

(中略)

彼はそのタイにガブリとかぶりついた。少年は空腹だ ったのである。

しかし、それで彼が食物にありついたことはたしかだが、彼はまだ料理を味わってはい なかっただろう。

ところが、タイにかぶりついた少年は、どうもこれではうまくないと

(思ったかどうか は知らないが)、いったん噛み切ったタイの身を口から

吐き出して、それをあらためて海水で洗って食べてみた。

そうしたら、海水の味がよく滲みておいしかった。

そしてそれ以降、少年はタイをつかまえるたびにいちど噛み切った身を海水で洗って食べることにした ...... と仮定したら、

このとき、彼はすでに料理を発見していたのではなかろうか。”

“少年はその日、またタイをつかまえたが、おなかがすいていなかったので、

浜辺の岩の 上に置いておいた。

その後少年は、しばらく別の浜で遊んでいたので、すっかりそのことを忘れていた。そして何日かしてもとの浜に戻ってきて、岩の上に置き忘れたタイに再会した。

タイはすっかり干上がっていた。しかしとくにヘンな匂いはしない。

少年は好奇心にかられてその身の一部をそっと指先でほぐして、食べてみた。…

ナマのタイと感触は違うが、それもまたひとつの食べものであった。

彼はその後、ときどきタイを何日間か干したあとで食べることを試みるようになった。

こうして、彼は、タイの干物を発見した。”

洗いにも干物にも飽きて、なにか面白いことはないかなあと思っていた少年は、ある日またタイをつかまえると(その海はたくさんタイがいるのだ)、

こんどはそれを持って浜辺にあがり、岩の上にタイを置き、ナイフを取り出して切り刻んでみた。

まだビンビンとはねる活きたタイを。そして近くの草の葉を拾ってきて、

その上に切り身をのせてみた。

つまり、タイの活け造りである。”

それではいまわれわれが問題にしている食べものに関して[料理]という言葉が

どういう意味を持つかといえば、

「手に入れた材料に適当な手を加えて食べやすく(またはおいしく感じられるように)

ること、またその結果できたもの」

というような定義になるだろう。

何にしろ材料を手に入れなければ料理はできないし、いい材料を選ぶことは、

日本料理のみならずフランス料理でも中国料理でもその他の料理でも

おいしい料理をつくるために欠かせない基本であることはたしかであるけれども、

ただ材料を手に入れる(選ぶ)だけではまだ「料理」ははじまらない。

それは「料理」の一歩手前、準備段階であり、その材料になんらかの人為的な

手を加えて処置する行為があってはじめて料理はスタートするのである。

どんなに素晴らしいタイを手に入れたとしても、そ

れにガブリとかみついてしまったのでは料理はどこにも存在しない。

(中略)

そこへ行くと、一方の雄フランス人のほうは単純明快だ。

フランス語では料理のことをキュイジンヌCUISINEという。

この語は、英語のクッキンゲCOOKING, と同じく、源はラテン語のコクエレ

に発している。

仏英のほかほとんどの欧米語の料理を表す語の源であるが、その意味は、

「火熱を加える」という意味である。

つまり、フランスをはじめとして、欧米の連中は、料理とは加熱することなり、

単純明快に具体的な行動の指針を示していることになる。

(中略)

日本料理では、切ることとそれを盛りつけること、

つまりカッティングとディスプレイの技術が、料理人を料理人たらしめる不可欠の要素なのだから。

「包丁人(ナイフを持つ人)」 という言葉が、そのまま料理人(コック)を

意味するのが日本料理である。

(中略)

いかに切るか」が、日本料理においては、「いかに加熱するか」より重要な

ものであると考えられてきたわけである

中略)

日本では料理のことを、「割烹」と呼ぶことが多い。

これももとは中国から伝わってきた言葉で、割は割き切ること、

烹は(火を用いて)煮たり焼いたりすることの意味。

つまり料理することの具体的な内容を指し示しているわけだが、

欧米式の、「火を用いなければ料理とは認めない} という強硬意見と違って、

割(カッティング)も範囲内に入っているので日本料理にフィットするようである

日本料理と西洋料理は根本からして考えが違うようです。

日本は、切ることを大事にし(新鮮)、西洋は熱を加えることを大事にしているように

感じました。(保存)

面白い文章でした。

料理の四面体、料理を全く違う角度から見るいいチャンスになりました!

カッパ寿司 TVCMより

「料理の四面体」玉村豊男さん著 | 2022 | 未分類 | Comments (0)