CMディレクター仲野哲郎の「シズル」って何?69
今日のメモは、前回に続き狩猟本からのメモです。
著者は近藤康太郎さん。朝日新聞社の記者でありながら、ライターを続けていくために
米農家や猟師になった、ちょっと変わった方ではありますが、
「ライターの文章力」と「現代を生き抜く力」と「世の中を見抜く力」
どれも群を抜いていて、グイグイ引き込まれました。
とても興味深い本でじっくり読ませていただきました。
”ここまでこだわるのは、さっき、はしなくも書いてしまったが、鴨肉を
デパート地下で売っているような「商品」にしていたからなのだった。
ここでものの順序として「商品」とはなにかという話になる。これは多くの人が考えるほど簡単な問いではない。
商品というもののなかに潜む魔術性を見抜き、一生をかけてこれを追究したのが、カール・マルクスである。
われわれがこれから考察しようとしている社会形態においては、
使用価値は同時に交換価値の素材的な担い手をなしている。(マルクス『資本論』)
鴨を、自分で獲って、食べて、おいしくいただく。それだけで〈使用価値〉がある。
しかし、こうやって手間ひまをかけ、真空パックでいかにも商品ライクな化粧をほどこすと、
鴨肉が〈交換価値〉を帯びるようになる。「使用価値は同時に交換価値の素材的な担い手」となるのである。
獣肉という素材に、丁寧なうえにも丁寧な処理をし、外装にも化粧を施す。
希少・貴重な食材であるということを、もの自体に語らせる。受けとり手に幻想をもたせる。
すると、「食べる」という使用価値に上乗せするかたちで、交換価値が付着するようになる。
商品とは、幻想である。みもふたもないが、これが、資本主義のからくりなのだ。”
どうですか?商品とは何か?お金を払って買う商品とは?と考えさせられる文章です。次に現代(私自身)が抱えている疑問について書いています。
”かつて「カネで買えないモノはない」と放言したIT界の寵児がいた。事態は逆である。
モノはカネで買う。カネで買えるモノ、市場で出回るモノしか、わたしたちはもはや欲望しなくなったのだ。
高級車や高級プランド服、ファンシーなレストランでの食事、高額なタワーマンション、ミニチュアにセレプな生活、
インスタグラムやフェイスブックにあふれる「いいね!」の小さな承認欲求、せいぜいがそんなものしか欲望できなくなった。
精神のインポテンツに陥っているのが現代だ。「カネ=貨幣」という商品の中の商品、
王のなかの王の幻想に、すっかりとりこまれたわたしたちのせこい欲望だ。
人間の人間たるゆえんである欲望さえ、みんな、似通ってきた。
だれもが、似たようなものを望むようになった。”
と書いています。思い当たることだらけで胸が痛い。。。くくく。。。